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8.仕事と音楽


無事に4年で卒業ができそうな雰囲気の中、私の就職先が決定しました。静岡県浜松市に本社を置く、某FMラジオの放送局です。一度は試験で落とされた放送局です。いろいろあって拾っていただいたんです。 もともとマスコミ志望、特にレコード会社を志望していました。ただ、ホントに勉強不足でした。マスコミの入社試験は時期が早かったんです。おかげで、ほとんど試験すら受けられずに断念したわけです。 運良く受けられたそのラジオ局では最終面接まで通過したのですが、落とされました。なにせ「アナウンサー志望」として試験を受けていたのですから、当たり前です。周りはアナウンサー養成学校で勉強してきた人たちばかりですから。方向転換して活動そのものをやり直し、夏にはちゃんとSE(システムエンジニア)の会社に就職を決めることができたんです。 新入社員の懇親会ということで、タダ酒をいただいてしまってから数日たったある日、一本の電話が入りました。電話の主は、落とされたラジオ局の人事の方です。「ディレクターとして採用を考えているのですが、どうですか?」一度はあきらめたマスコミですが、そう来られると非常に悩みます。「1日考えさせてください」と返事して電話を切り、大学の就職課へ相談に行きました。 「本当にやりたいことは決まってるんだろ」 そう言われて、「お世話になります」とラジオ局に連絡をして、SEの会社に内定辞退届けを書き、挨拶に訪れて頭を下げてきました。決して楽な就職活動ではなかったと思いますが、いろいろ勉強しました。 そんなこんなで、ラジオ局にディレクターとして入社することになりました。決め手は、入社試験の内容でした。全国でも珍しい「音楽テスト」があったんです。ミュージック・ステーションとしての方向性を明確に打ち出したものですよね。しゃべれるだけではやっていけないよ、ということです。周りはアナウンサー志望の人たちばかりでしたが、音楽に詳しい人はいなかったようです。最終面接の時に言われました。「君は、音楽試験だけは点数が良かったよ」一般常識はほどほどだったようです(笑)。そんな奴採用してよかったんですか(爆) 他の学生は最後の試験も終わり、卒業旅行に行こうかという2月、すでに下宿を引き払い、浜松に引越しをした私。入社前の研修がスタートです。私ももちろん、親しい友人と中国へ旅行する予定があったのですが、キャンセルです。無理もありません、ディレクターなんて短期間でできませんから。 なんとか番組の体裁を保てる程度になって、いよいよ4月。新年度の始まりです。自分の担当番組も決まって、緊張の中で仕事をスタートさせました。 と、ここで振り返ると、自身の音楽活動について何も書いてません。就職サクセスストーリーをつらつらと書いてきただけで、つまんなーい、ですね。 そりゃそうです、何もしてませんから。そんな暇はないほど、多忙でした。ようやく余裕が出来たのが入社から3年後。とある音楽雑誌の「メンバー募集」欄に地元・浜松の方の投稿記事が掲載されていました。フュージョンのバンドを 組みたい、ついてはドラマーを募集している、という内容でした。当時はまだ、e-mailなど普及してませんから、返信はハガキです。とりあえずお手合わせを、と出したら「決まったからまた機会があったら」と電話が。。。 しかし、せっかく決まったそのドラマーさんは早くも脱退。再度連絡がありました。お手合わせしてビックリ。みんな上手いんですよね。私の方も気に入られて、めでたく参加決定。後に「FREE CONCEPTION」と名乗ることになります。